世界遺産暫定リスト訪問記世界遺産(写真・地図)

このページは「世界遺産暫定リスト訪問記」に関しての情報です。

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◆世界遺産(当サイトに付いて)

・世界遺産の緯度経度を掲載しております。
世界遺産の緯度経度は、ユネスコ公式サイトにも掲載されていますが、精度が悪く使い勝手が悪いので。当サイトでは世界遺産の、詳細な緯度経度を掲載しています。
広範囲に渡るものなどは、中心地域や中心的建造物などにスポット当てています。
また、アフリカの国立公園のような、超大規模の物も中心地域の緯度経度で表示しております。

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flickr(写真共有サイト)の関連写真にリンクしています。

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世界遺産の地図と、様々な写真が載っていますので是非ご覧ください。

世界遺産を地図と写真でお楽しみください。

富岡製糸場

■富岡製糸場とは

官営模範工場の一つであり、明治5年10月4日に操業を開始。開国直後の日本の重要な貿易輸出品であった、絹の製品の量・質の向上の為には近代化された製糸工場が必要と考えた明治政府によって作られた日本初の器械製糸工場。


富岡製糸場



■世界遺産と富岡製糸場

世界遺産に登録されている物件に置いて「産業文化遺産」と呼ばれるものがあり。
日本における産業文化遺産の中で最も歴史的価値が高い物が「富岡製糸場」である事が、世界遺産暫定リストに追加された要素だと考えられます。

海外の世界遺産でも、
ヨーロッパの産業文化遺産でも有名なドイツの「フェルクリンゲン製鉄所」
フィンランドのヴェルラ村にある製紙・製材工場「ヴェルラ砕木・板紙工場」
ウェールズの製鋼と炭鉱の街「ブレナヴォンの産業景観」
アイアンブリッジ渓谷やエンゲルスベリ製鉄所など
その他鉄道なども多く登録されていたり、産業文化遺産への評価は高い物があります。

ただ、フェルクリンゲン製鉄所(1873年)と富岡製糸場(1872年)の操業がほぼ同時期である事などから考えると、若干世界遺産登録に向けてはハードルは高いかもしれません。
ただし世界的な経済技術大国となった日本の産業の根幹を作った近代産業の礎で、その建造物が当時のまま残っている資産価値が評価されれば十分世界遺産に登録される価値のある物件だと思います。


富岡製糸場



■富岡製糸場概要

開国直後の日本にとって、利益が期待された輸出品は茶と絹(生糸)であった。だが、繭から生糸をつくる製糸工程は人力や前近代的な小規模な器具によるところが大きく、生産量が少ないフランスやイタリアよりも製品の質の面で大きく劣ると評されていた。このため、これらの国々と同様に大規模な器械を装備した近代的な製糸工場を稼動させ、製品の量・質ともに高めていくことが殖産興業推進のためには欠かせないと考えられるようになっていった。

明治政府は、お雇い外国人のフランス人技師ポール・ブリューナ(Paul Brunat)の指導でフランスから繰糸機や蒸気機関等を輸入し、養蚕業の盛んな富岡に日本初の器械製糸工場を設置した。当時は世界でも有数の規模であり、和田英ら数百人の工女が日本全国から集められた。工女の労働環境は充実しており、六工社など後に日本全国に建設された製糸工場に繰糸の方法を伝授する役割も果たした。ただし、当時大蔵民部省官吏として建設に尽力した渋沢栄一は後年自己批判も込めて、富岡の製糸は官による経営で採算性を無視できたから成功した側面もあり、日本の製糸の近代化に真に貢献したのは、富岡に刺激されて近代化を志した民間の人々であると書き記している。

当初は民部省が設置し、大蔵省、内務省、農商務省と所管が移った。明治8年に日本人による操業が始まったが、大規模すぎたために十分な機能が果たされず、官営工業の払い下げ令により、明治26年(1893年)に三井家に払い下げられた。明治35年(1902年)には横浜の生糸商原合名会社(原富太郎)に渡り、昭和14年(1939年)、片倉製糸紡績会社(片倉工業)の所有となると昭和62年(1987年)3月5日まで約115年間操業を続けた。

約1万5千坪の敷地内に開設当時の東・西繭倉庫(12メートル×104メートル)、繰糸場(12.3メートル×140メートル)、事務所、外人宿舎など煉瓦建造物がそのままの形で残っており、重要な近代化遺産である。

平成17年(2005年)7月14日付で「旧富岡製糸場」として国の史跡に指定され、平成18年(2006年)7月5日には明治8年(1875年)以前の建造物が国の重要文化財に指定された。なお、全ての建造物は平成17年(2005年)9月30日付けで地元富岡市に寄贈され、翌日からは市が管理(富岡製糸場課)を行っている。

現在、群馬県・富岡市を中心に富岡製糸場とそれに関連する絹業文化遺産を世界遺産に登録しようとする動きが強まっている。平成19年(2007年)1月23日には文化審議会文化財分科会で「富岡製糸場と絹産業遺産群」として世界遺産暫定リストに加えられた。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




■富岡製糸場訪問記

今回はバス旅行での訪問となりました。
訪問にあたっては案内ガイドさんと見学する事をお勧めします。
何も説明が無いまま見ると、ただの建物を見るだけで終わってしまう感じです。


大型バスが止められる場所は、富岡製紙場から徒歩5分くらいの所。若干歩きます。
門前町で参道を歩いていく雰囲気です。


富岡製糸場



富岡製糸場の入り口の看板、懐かしい感じの赤いポストが横にあります。
1987年まで操業していたとの事ですので、働いていた人も良く使ったポストなのでしょうか


富岡製糸場



中に入ってすぐ、何やら石碑が色々あります。
個人的感想ですが、平泉なども世界遺産登録に向けてなのでしょうか、綺麗な看板などの整備が目立ちましたが、世界遺産と言う意義や登録の可否への過程を考えると、観光客用のアナウンスや記念碑などはあまり必要無い気はします。


富岡製糸場


富岡製糸場



入ってすぐにある東繭倉庫。
糸にする前の繭を保管するには大きな倉庫が必要だったそうです。


富岡製糸場


富岡製糸場



東繭倉庫を抜けて対象位置にある西繭倉庫。
この前はちょっと広場になっていて、記念撮影などが撮れる様になっています。
ガイドさんが明治5年の建設時の、レンガについてなどの説明をしてくれました。


富岡製糸場



環境を考えて作られたと言う大きな煙突。


富岡製糸場



近代化される前の製糸方法や、ブリューナ一行についての解説をしていただきました。


富岡製糸場

富岡製糸場



建物がレンガと木を組み合わせた事によって、地震などにも耐える構造であった事。
また建物の基礎部分に石をつんだ事で、腐食などにも強かった事などが見て取れます。


富岡製糸場


富岡製糸場



フランス人技師ポール・ブリューナが住んでいたと言うブリューナ館。
地下室の謎など、面白い話が聞けます。


富岡製糸場



繭の倉庫とは違い、こじんまりとした糸の倉庫。


IMG_5525



操糸工場。1987年まで操業していたので中の機械は新しい物です。
蒸気が建物から出やすくなるような屋根の構造になっています。


富岡製糸場


富岡製糸場


富岡製糸場



戻ってきて東繭倉庫にはちょっとしたお土産屋さん、そしてビデオコーナー。
展示写真などがあります。
その中の古い時代の工場の写真。


富岡製糸場



世界遺産登録に向けた資産に含まれる文化財が載ってました。
平泉がイコモスから指摘を受けた、骨寺村の浄土思想との関連の希薄さについて、そこには骨寺村を外せない市町村の思惑が色々あるようですが。
富岡製糸場を世界遺産に申請するにあたっては、富岡製糸場の絹産業遺産群とあまり関係ない物件を資産に含まない方がイコモスには理解されやすい気がします。

富岡製糸場





■富岡製糸場感想

小学校の教科書でも習った富岡製糸場、そして色々な話をガイドさんから聞けたので楽しく訪問できました。
個人で行く場合でも、ガイドさんの時間に行けばそこで話しを聞いて周れるそうなので、ガイドさんの話を聞きながらをお勧めします。
平泉の世界遺産の落選など、現状世界遺産登録を絞っている状態での世界遺産登録への道なので厳しい事も考えられますが。
日本の産業史で唯一世界遺産に登録が出来る可能性のある物件ですので、是非世界遺産に登録されて、経済大国となった日本の産業黎明期の明治時代の物件が人類が後世に残す意義がある物として保存されるようになっていただきたいと思います。

平泉・浄土思想を基調とする文化的景

2008年に審査と言う事で。 平泉の世界遺産申請物件めぐりをしてきました。


詳しくは別サイトにまとめました。

平泉・浄土思想を基調とする文化的景観(世界遺産)

とにかく、平泉・一関・奥州市。
世界遺産への盛り上がりは物凄い物がありました。
ホテルの方も、まず一言目には「世界遺産」でしたし。
町中の自転車やさんでも、食事やさんでも 「平泉の文化遺産を世界遺産に」 のポスターがいたるところに貼られていました。


世界遺産

世界遺産

世界遺産



あくまで個人的な感想ですが。 中尊寺などは、やはり観光地化が激しいので、物件としての魅力は少ないと言うか。
その代わり一番面白かったのは「骨寺村荘園遺跡」
世界遺産に向けて、空いた民家をレストランや観光案内にする計画があるようなのですが。
そんな事はせずに、そのままの状態で保存して欲しい場所でした。

長者ヶ原廃寺跡も、田んぼの中にぽつんとあるような遺構で、地理関係からも「安倍氏」ゆかりの寺の跡とも言われていますが、あの場所に立って周囲を見渡すだけで、古代へのロマンを感じられる場所でした。


無量光院跡や柳之御所遺跡は整備中で、どうもそのうちに池などの遺構は復元されるようです。

他の断定リスト物件に「武家の古都・鎌倉」がありますが。
平泉を見た「源頼朝」が、寺の町鎌倉を作ったと言われています。
平泉が世界遺産に登録され、平泉の文化遺産が後世に伝わる事を望んでやみません。

http://jp-z.com/0930/hiraizumi.mp4
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