富士山世界遺産(写真・地図)

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富士山

富士山がパリのユネスコ世界遺産センターに2012年1月26日に提出されました。

fuzisan

富士山文化遺産の構成資産

 構成資産とは、世界文化遺産となりうる対象の「顕著な普遍的価値」を具体的に証明するものとして選ばれた資産のこと。実際に構成資産とするためには、対象との関連性の証明だけでなく、国から重要文化財や天然記念物、特別名勝などに指定される必要がある。

 富士山の世界文化遺産登録に向けては2006年5月、山梨、静岡両県などでつくる富士山世界文化遺産登録推進両県合同会議で、資産の調査、検討作業がスタート。11月に開かれた同会議で、文化庁に提出する暫定リスト素案が決定。この時の素案には、富士山など両県共通の資産3、山梨側23、静岡側16の計42の資産候補リストを付属した。

 両県は2007年、各県の学術委員会や2県合同会議を通し、資産候補として富士山以下65物件を列挙。両県共通の資産候補には3物件を、山梨県側は北口本宮冨士浅間神社や忍野八海など計37物件、静岡県側は冨士浅間神社や人穴富士講遺跡など計25物件を選定した。

 翌2008年3月には候補数は最大の66件までふくれあがったが、その後、両県の学術委員会などで候補を精査、絞り込みや集約作業など行い、2011年7月に構成資産25件(両県にまたがる「富士山域」をはじめ山梨県分16件と静岡県分8件)を確定した。遺産の核となる「富士山域」には、山頂の信仰遺跡や両県の登山道、北口本宮冨士浅間神社、西湖、精進湖、本栖湖が含まれる。海外の専門家が本栖湖と富士山を一体化した景観保存を求めたことを受け、両県は本栖湖からの眺望を含め「富士山域」の範囲として設定した。

 なお2011年9月に、文部科学相が富士五湖を国の文化財(名勝)に指定することを告示。11月には文化審議会が、静岡県の人穴富士講遺跡など5件について、文化財(史跡)に指定されている「富士山」に追加指定するよう、文部科学相に答申。これで登録手続きで必要な全構成資産の文化財指定にめどがついた。

■富士山世界文化遺産の構成資産一覧■

(1)富士山域(山頂の信仰遺跡、大宮・村山口登山道、須山口登山道、須走口登山道、吉田口登山道、北口本宮冨士浅間神社、西湖、精進湖、本栖湖)=山梨、静岡両県
(2)富士山本宮浅間大社=静岡・富士宮市
(3)山宮浅間神社=静岡・富士宮市
(4)村山浅間神社=静岡・富士宮市
(5)須山浅間神社=静岡・裾野市
(6)冨士浅間神社=静岡・小山町
(7)河口浅間神社=山梨・富士河口湖町
(8)冨士御室浅間神社=山梨・富士河口湖町
(9)旧外川家住宅=山梨・富士吉田市
(10)小佐野家住宅=山梨・富士吉田市
(11)山中湖=山梨・山中湖村
(12)河口湖=山梨・富士河口湖町
(13)忍野八海・出口池=山梨・忍野村
(14)忍野八海・お釜池=山梨・忍野村
(15)忍野八海・底抜池=山梨・忍野村
(16)忍野八海・銚子池=山梨・忍野村
(17)忍野八海・湧池=山梨・忍野村
(18)忍野八海・濁池=山梨・忍野村
(19)忍野八海・鏡池=山梨・忍野村
(20)忍野八海・菖蒲池=山梨・忍野村
(21)船津胎内樹型=山梨・富士河口湖町
(22)吉田胎内樹型=山梨・富士吉田市
(23)人穴富士講遺跡=静岡・富士宮市
(24)白糸の滝=静岡・富士宮市
(25)三保松原==静岡・静岡市

google翻訳による訳文

富士山は、絶妙に美しいコーンと3776メートルの成層火山である。その南側には、海面から測定され、世界で最も高い山の一つとなって、駿河湾での水の端まで拡張されています。富士山は、人間の歴史の中で何回も噴火し、その結果、神聖な山として畏敬の念と尊敬の対象となっている、それは日本自体の象徴 "有名なピーク"として愛され続けています。古代の神社から遠くからそれをあがめるために富士山のふもとに作成され、時間内に富士山本宮浅間神社と北口本宮富士浅間神社が設立された。中世を通じて、平安時代(794-1185)から修験の実践は、神道と仏教の両方の要素を組み合わせた禁欲主義の宗派の中心地として栄えたエリア、16世紀と17世紀に藤原Kakugyō(1541年から1646年)とJikigyō弥勒(1671-1733)は、神聖な山に登るために大量の巡礼を奨励し、江戸(現在の東京)とその周辺の農村の人々の間から、支持者の多数を引き付けフジコと呼ばれる宗教団体を組織した。この日本の山の民俗宗教的な崇拝に根ざした登山のスタイルは、この日に続けて、一緒に普通の登山者や観光客の多数は、特に夏のピークシーズン中、富士山を訪れると、それはのユニークな特徴の一つである山の上昇。富士山も葛飾北斎の富嶽Sanjūrokkei(富士山の三十六景)と、歌川広重の東海道の "ゆい"印刷に1299年に完成一遍Hijirie(プリースト一遍の絵伝)から、様々な芸術作品に描かれているGojūsantsugi(東海道の51の3地点)、および無数の日本の詩をテーマにされており、古典的な万葉集からしたがって、日本の高い山と成層火山の優雅に美しい例であることに加えて、その長い歴史を通じて、日本の人々が非常に貴重な文化的景観ながら、宗教的、芸術的実践の世代にこの山との特別な結合を形成している。




これにより2013年の、ユネスコの世界遺産委員会で審議にかけられる事になりました。